1988-03-30 第112回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
○説明員(森山浩二君) ただいま条件についていろいろ米側と調整しておりまして、この内容につきましては、日米間の合意がございまして、両政府の合意ができないと公表できないことになっておりますので、御了承願いたいと思います。
○説明員(森山浩二君) ただいま条件についていろいろ米側と調整しておりまして、この内容につきましては、日米間の合意がございまして、両政府の合意ができないと公表できないことになっておりますので、御了承願いたいと思います。
○説明員(森山浩二君) この条件につきましては、日米間の交渉事でございますので、ここで回答は差し控えさせていただきたいと思います。
○説明員(森山浩二君) お答えいたします。 まず、第十六回の安全保障協議委員会で返還が合意されました部分につきましては既に返還を完了しております。これはバルブボックス二十までの点でございまして、ただいま委員がおっしゃいました区間の送油管は安全保障協議委員会で合意された以外の部分でございまして、これにつきましては沖縄県の方から強い返還の要望がございまして、米軍の方に返還要請いたしまして、ただいま米側
○説明員(森山浩二君) そういうわけではございません。ただ三者が今までそれぞれ必要を感じ、討議する必要が生じたときにその都度開かれておるということで、それぞれの出席者等のスケジュールの都合等もございましたでしょうし、種々の関連から今日まで十二回ということになっているかと思います。
○説明員(森山浩二君) この三者協議会というのは、それぞれ問題があったときに三者がそれぞれ共通の話題について忌憚のない意見を交換するという場でございまして、そういう関係で今まで、原則としては年四回ということになっておるようでございますけれども、問題が起こった都度開かれてまいった、その回数が十二回になったんだというふうに承知しております。
○説明員(森山浩二君) 三者連絡協議会は、米軍が安保条約に基づきまして沖縄に駐留していることに関連し、沖縄県及び那覇防衛施設局、さらに在沖米軍の三者間に共通な問題につきましてそれぞれ自由な立場で活発に意見を交換したいということを認識しまして、昭和五十四年七月に設置されることになった協議会でございます。五十四年の七月十九日に第一回の会合が開かれまして、それ以来十二回種々討議してまいっております。 主
○森山説明員 私も詳しいことは存じませんが、本土でもあると思います。例えば昔、相模総合補給廠からノースドックまで戦車を、これは大分古い話でございますが、ベトナム戦争の当時輸送した経緯がございますが、その際に途中の橋を補強しまして、そういった重車両が通れるようにして通行させたという例もございますし、また沖縄の方でも今の国道三百二十九号線ですか、これを横断してキャンプ・ハンセンに入っております出入路が、
○森山説明員 実は米軍は地位協定の五条で施設区域の間の出入は許可されておる、許されておるわけでございます。それで一般の国道等通行できることになっております。この件は、国道部分はもちろん米側には提供いたしません、国道を除いた部分は米側に提供されますけれども。その使用については、一般が使うと同じ形で米側も使うということです。 ただ重車両でございますので、その米軍の車両が通ることで国道に損傷を与えるようなことがあってはならないというので
○森山説明員 防衛施設庁の立場からお答えいたします。 宜野湾市の方が、キャンプ瑞慶覧の一部返還を含めまして普天間第二小学校を移転したいという強い御要望があるということで宜野湾市長から要請を受けまして、防衛施設庁の方が施設特別委員会を通じまして米側に返還要請をしたわけでございます。それに対しまして米側の方は、条件つきでこれを返還したいということで回答してまいりまして、その条件等を含めてただいま宜野湾市
○説明員(森山浩二君) お答えいたします。 ただいま先生おっしゃいましたように、今日まで安保協議委員会で了承されております施設のうち、約三五%が返還になっております。この残っております施設につきましては、移設及びその措置に関する実施が合意された後返還される施設というのが大部分でございまして、移設先地の選定が非常に困難だというような状況もございますし、また、土地所有者等の御意向も配慮しなければならないというような
○森山説明員 これは、委員会の機構を説明申し上げますと、こういう案件がございましたときに、そういった覚書を米側に提出するわけでございます。米側はそれを持ち帰って……
○森山説明員 ただいま外務省の岡本課長からもお話がありましたように、昨年の十月二十一日付をもちまして日米合同委員会の下部機構である施設特別委員会の方へ共同使用の要請を出したわけでございます。それ以来、米側の方で鋭意検討されておるということで、我が方にはまだ回答がないということで回答を現在待っておるという状況でございます。
○森山説明員 お答えいたします。 私の方はハリアーの関係をお答えいたしまして、かわりまして宮下の方から一〇四号越えの射撃の件をお答えさしていただきますが、ハリアーパッドの建設につきましては、米軍は、ハリアー機の訓練の必要性を満たすべく数年前から北部演習場の中の数カ所につきまして、環境の保全とか地元住民に対する影響等を検討してまいった結果、当時安波ダムの建設のときに土捨て場として使われた場所をハリアーパッド
○森山説明員 お答えいたします。 六十一年の十月二十一日付の施設特別委員会に本件の共同使用要請を出しておりまして、ただいま米側で検討中でございまして、回答を待っておるという段階でございます。施設庁といたしましては、早急に回答をいだだけるよう今後も米側と折衝を続けたいと考えております。
○森山説明員 そのとおりでございます。
○森山説明員 防衛施設庁といたしましては、ただいまのところ県の方から具体的な要請がまだ出ておらない段階でございますので、返還等について県から要請があった時点で、米側あるいは関係先とも協議してまいりたいと考えております。
○説明員(森山浩二君) ただいま触れましたように、北西に位置しておりますブイにつきまして、隣接して航路それから漁場等がございますものですから、これにつきましてはもとの合意の位置に戻すということで今米軍との折衝を進めております。それで、あとの四つのブイにつきましては、これは先ほど申し上げましたように海底ケーブルがございまして、それを合意の位置に戻しますと海底ケーブルを損傷するおそれがあるものでございますから
○説明員(森山浩二君) ずれましたのは、ただいま申し上げましたように、電電公社の海底ケーブルがございまして、それを回避するという……
○説明員(森山浩二君) ずれておるのは事実でございます。日米両国は、沖永良部島の東南東の公海上に五カ所定点を設けまして、これを中心としましてそれぞれの定点から半径一キロメートルな いし二キロメートルの水域を指定しまして、この中におのおの一個の海上ブイを設置するという形で合意しております。現在、中心のブイはこの指定水域内に設置されておりますけれども、その他のブイはおのおの約二・六キロメートルないし四キロメートル
○森山説明員 パイプラインの延長は約一万メートルでございます。その敷地の面積は約九万五千平方メートルでございますが、バルブボックスにつきましては、返還後これを撤去するという方針で処理しております。
○森山説明員 パイプラインにつきましては、第十六回安全保障協議委員会で返還される部分が合意されておりますが、その部分につきましては逐次返還されてきておりまして、来る六月三十日にも那覇市—浦添市間のパイプラインが返還されることになっております。
○森山説明員 私どもといたしましては、知事さんがお帰りになりましてから県当局と十分協議いたしまして、その上でしかるべき対処をしていきたい、そういうふうに考えております。
○森山説明員 那覇港湾施設は特別な機能、性格を持った施設でございますものですから、鋭意移設先を検討しておるのでございますが、非常に選定が困難でございまして、ただいまのところは残念ながら見通しを得るに至っておりません。施設庁としましては、努力を続けたい、こういうふうに考えております。
○森山説明員 お答えいたします。 安全保障協議委員会において移設を条件に全部返還されることが了承されております施設、区域でございますが、これは第十四回におきまして那覇空軍・海軍補助施設、それから第十五回におきまして牧港住宅地区、那覇港湾施設、那覇サービスセンター、それから第十六回におきまして伊江島補助飛行場、これらの施設でございます。
○説明員(森山浩二君) 移設工事が完了しましたならば返還されることになっておりますので、そのあたりはただいまの時点では明確に申し上げかねますけれども、そういったこと。とにかく六十二年度以降ごろになろうというふうに考えております。
○説明員(森山浩二君) お答えいたします。 牧港住宅地区につきましては、ただいま移設工事を実施しておりまして、この移設工事が完了しますと返還されることになっております。その返還時期につきましては、この移設工事の進捗状況に関連しまして、現在のところいつまでに返還できるという明確なお答えはできないという状況でございます。